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総説論文が出ました [論文]

地質学雑誌より総説論文が出版されました.
日本から転送してもらったので時間がかかりましたが,漸く目にすることできました.
2011年1月号の1ページ目.おめでたい感じで嬉しいです.

この論文の執筆については去年の9月の記事に書いてますね.
随分前の事のように思いますが,まだ5ヶ月しか経ってないのか..

この総説では未解決ということで積み残した問題がありました.
ブログに当時の葛藤が書いてあります(やはりブログの一番の読者は自分だ).

その後,オーストラリア滞在などを経ているウチにこの未解決問題についても展望が開け,
今新しい仮説としてまとめた論文を国際誌に投稿中です.
(次は,この仮説をどう検証するかを考えていますが,これはちょっと難しいかも..)

ともかく,この総説論文を執筆するにあたっては,
これまで本当に多くの方々にお世話になってきたことを実感しました.
関係の皆様,大変お世話になりました.今後も頑張ります.

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査読と論文の質,そして雑誌の数 [論文]

久しぶりに論文の査読を依頼されました.

実は僕は国内誌(英文も含む)の査読を依頼されたことはありません.
僕自身は和文論文も幾つかは書いてきていますが,
まだ知名度が低いのか,若手はあまり査読をしないのか分かりませんが,依頼は来ません.
(特に愚痴っているわけでも,査読をしたいわけでもないです..ただ事実として)

一方,国際誌の方は数年前からチラホラ頼まれるようになってきました.
一流の雑誌から,それほどでもない所まで色々です.

今回はこのそれほどでもない雑誌の査読なんですが,何時のことですが結構しんどいです.
(一方,一流雑誌の場合は,内容も新しく画期的なことが多いのでレビューも楽しいです)

今回の問題は,なぜかフォーマットがちゃんとしてない.
章・項立てがおかしいとか,引用スタイルがバラバラとか.図が適当でよく分からんとか.
正直言って,こういうレベルの原稿は編集で蹴って欲しいです.

以前,こういうレベルの原稿を親身に何度も査読して,少しずつなんとか改善した後で,
エディターにリジェクトされたことがあります.
その時はホントに「だったら最初にリジェクトしてくれ!」って感じでしたが.

あと,何処までが新しい報告で,何処までが既報のデータなのか分からないのもあります.
60%ぐらいは既に論文になって出版されているけど,
それを(たぶん)誤魔化して新しい論文として投稿してきているわけです.
これは非常に問題なのでキチンとコメントしましたが,
査読のスキを狙ってこういう論文が投稿されてくること自体が困ったことです.

業績主義が行きすぎた結果なのでしょうか.
最近もどんどん新しい雑誌が作られています.
そして,ダイレクトメールみたいに,論文を投稿して!というメールがしょっちゅう来ます.
(具体例 "SUBMIT your manuscripts now!")

こんなに雑誌ばかりふえても,レベルは維持できないし,そもそも読むことも出来ません.
内容を問わず論文の数で研究者を評価する事が問題なのは確かですが,
かといって引用数も分野の問題とかいろいろありますしねえ.難しい所です.
(僕の論文の引用数が増えないから愚痴ってるわけですけど)

暴論ですけど,例えば国立の大学・研究所では,既存のある一定レベルの雑誌を選定して,
「これらの雑誌だけに投稿すること」と推奨しても良いんじゃないでしょうか?
だって,関係論文が一定の雑誌に集中すれば雑誌の購読費用も抑えられますし,
レベルも維持されます.
もちろん,国内誌は別の価値があるので話は別です.
国際誌でも誰も読まない雑誌に出すよりは,国内誌に出した方が絶対良いと思いますし.
どうでしょう?


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無事に論文投稿 [論文]

「共著者のコメント待ち」と記事を書いた直後にばっちりコメントが帰ってきました.
まあ海外の研究者なのでこのブログを読んでるわけではないですが,ナイスタイミング!

という訳で,頂いたコメントを受けて原稿を修正し,投稿原稿が完成しました.
そして早速ウェブから投稿! 

さて,今回の論文は自分で言うのもなんですが,なかなか完成度は高いと思ってます.
2本に分けようと思ってた内容を一本に絞り込みましたし,骨太な仕上がりです.
ただ,この論文の主張は,30年あまり僕の業界で信じられていた定説(懐かしい響きですね)を否定する内容を含んでいますので,無事に査読を通るかはかなり微妙です.

まあ,この論文の着想時点から「これを通すのは大変だろうなあ」と思っていましたので,
この分野の第一人者の先生(ANU)にも研究に加わってもらって足場を固めてきました.
(そのためにキャンベラに行きました)
さらには,運良く数値モデルのスペシャリストにも助けて貰って内容も増強されてます.
まあやれる事はやったと思いますので,あとは天命(査読)を待つのみ!

査読者には,このアイディアに強硬に反対するであろう研究者が入ってくるでしょう.
大体予想はついています(業界の方ならピンと来るスクリプスの女傑先生です).
ソコをどうやって凌ぐかが査読通過のポイントになるんではないかと考えています.

と戦略を考えていますが,査読に行く前にリジェクトされるというパターンもありえます.
実際,数年前に同じ雑誌に投稿したときは,僅か10時間でリジェクトされました.
その時は,なんとか夜中に投稿が終わって,「やった−」とお酒を飲みに行き.
朝起きてメールを見たらリジェクトされていました.

「アブストと結論を読んだけど,この論文はウチに相応しくないので,よそに出してね」
とのコメント.

ほとんど読まずにリジェクトか!
と頭に来ましたが,悔しいので推薦されたジャーナルには出さず,
同レベルくらいの別の雑誌に出しました.
まあ,やっぱり査読でずいぶん苦労しましたが,その後なんとか無事に出版されました.

さて今回はどうなることでしょうか..

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共著者待ちの期間は? [論文]

タイトルの通り,現在共著者の承認待ちの論文原稿があるわけですが,
今日のトピックは共著者のコメント・承認待ちにはどのくらい時間が必要かです.

今共著者コメント待ちの原稿は,去年のクリスマス前週に送ったものですので,
そろそろ待ち期間は一ヶ月です.
これまでにANUの先生以外は全て返してくれているので,あとは先生待ちです.
と言ってもクリスマス・年末年始休暇を挟んでますので,しょうがないですけどね.

ただ,共著者待ち期間はどのくらいが適当なのでしょう? ちょっと考えてみました.
この場合の共著者というのは,本当に一緒にデータを解析しているとか,文章を分担して貰っているとかは除きます.
と言うより,実験設備を拝借したとか,サンプルをシェアしたとかのレベルです.

僕の場合,論文がある程度完成すると,まず深く関係している共著者に見て貰います.
そして,これで良いでしょうという所まで仕上がった段階で,他の共著者に送ります.
意図としては,共著者が関係する部分のチェックと,全体的なコメントを貰うためです.
ただ,まあおおよそ完成しているわけですし,論文は迅速に出していかないとこっちの雇用も危ないわけで,特に問題が無いならばなるべく素早く対応して貰いたいところです.
ただ,これがなかなかスムーズに行かないことが良くあります.
共著者になる方々は大抵お世話になっている先生方で,皆さんめちゃ忙しいからです.
放っておくと,何ヶ月も待たされたりすることもあります.

ただ,これまでの経験から正直に言うと,
待ち時間とコメント内容には特に相関はありません.
(つまり長く待たされても濃いコメントを貰えるとは限らない)

そもそも,忙しい先生なんかはたとえ何ヶ月待ってもヒマになることはありません.
つまり,待ち期間は純粋にプライオリティーに依存するので,その先生にとってその論文のプライオリティーが低い場合は何時まで待っても充分な時間を使ってもらうことは難しく,
結果として,何ヶ月も待ったわりに特にコメントが無いまま帰ってきたりします.

僕も学生の頃は,内容も(今より)ひどかったし,「直し」にも相当時間がかかっただろうなと思いますが,一応プロになった今ではそこまで徹底的に直されることはありません.
(学生でも無い限り,人の論文を大改造することはないですよね?)

カンタベリー大の受け入れ研究者だったMarkは,論文の書き方の講義で,
「共著者待ちの期間は2週間.それ以上は待たなくて良い」と断言していました.
そこまで断言してしまうのはどうかと思いますが,こういう考えの人もいる訳です.

という訳で僕の判断としては,やっぱり基本は2週間が目安,
相手が非常に忙しい人だとか,なにか事情がある場合は1ヶ月という所でしょうか.
と言うわけで,共著者を待たせる場合にはちゃんと事情説明をして下さると嬉しいです.
何も説明(言い訳)が無いまま待たされるほど困ることはないですから.

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論文データの公表 [論文]

研究結果を論文として公表すると,原則的に用いたデータは世界中にオープンとなります.
つまり,基本的には誰でもその公表データを使って再解析したり出来る訳です.

ただ実際には,原則的どおりにいかない事があります.
つまり,データ請求しても無視したり,身内でしか回さない研究者・グループがあります.

まあ,気持ちは分からないでもありません.
実験データは公表したけど,もう少し解析したいとか,追加データが出る予定だとか.

僕にも昔そういう経験があって,
論文公表直後に海外の研究者からデータリクエストを貰いました.
だた,別の切り口での解析を検討していたこともあって,
「解析中だからデータを渡すのを少し待ってくれませんか」と返事を書きました.

そしたら,その直後にその彼の共同研究者であるデンマークの有名な先生から,
「こういうのは良い訓練だからキチンと公表しなさい」
と怒られてしまいました,メールですが.

確かに仰る通りです.
まあ今だったら当然ですが,まだ良く研究者ルールを理解してなかった訳です.
で,戦々恐々としながら急ぎ全てのデータを渡しました.
(まあ結果としては,あれから5年が経ちましたが僕はデータをまとめる事は出来ず,
また,彼からもそのデータを使った結果は出てきてません.)


話を戻しますと,
そういう厳しい研究者ルールですが,実際はデータを提供しない人がいるわけです.
個人的な経験と身近から聞く話で一般化は出来ませんが,小声で言いますと,
「データをくれない研究者というのは,フランス人に多い気がします」
まあ,アメリカ人にもいましたが,研究者人口を考えるとそうかなと.

先日訪ねていったオーストラリア国立大学(ANU)の共同研究者も,
「あるフランス人の研究者と20年も一緒に仕事しているのに,未だに生データはくれない」
と言っていました.

一方ドイツでは,地球科学系に限りますが,
論文に用いた全データはウェブ上で公表しないといけないというルールがあるそうです.
公表用サイトはPANGAEA(http://www.pangaea.de/)と呼ばれてます.
さすがドイツですね.

研究成果をキチンと公表すれば引用も増えるし,その分野の発展にもハズです.
ウェブに上げるのは大変でも,請求したらちゃんと提供して貰いたいものですね.

科学論文における批評とモチベーション [論文]

ポスドクを卒業して一端の研究者になるとモチベーションの維持が大切となる.
特に論文執筆に関しては.

そもそも,研究成果を論文としてまとめると,批判的なコメントを貰うことが多々ある.
査読でも,出版後もそうだ.この点が不足だとか問題があるとか,等々.

確かに,僕も大学院時代はいかに批判的に論文を読むかを鍛えられた.
研究手法がおかしくないか,結果は妥当か,解釈は論理的か,とにかく穴を捜す.
だから今でも論文は批判的に読むし,自分の論文でも先行研究の問題点を指摘したりする.

けれど,自分の論文に批判的なコメントを貰うと,やはりヘコむ.
そもそも,学生を卒業しプロの研究者ともなると賞賛される機会はあまりない.
たまに国際学会に行くと海外の研究者はやたらと褒めてくれるけど,本心は分からない.
(あとで査読者になったらケチョンケチョンにされる事もある)

というわけで,全身全霊を傾けて新しい発見に取り組み,論文の完成まで何とか辿り着いたのは良いけれど,その後に批判的なコメントを受けてばかりだと次の研究へのモチベーションを維持するのが大変だ.
けれども研究者である限り,論文を書かねばならない.

僕の場合,論文執筆のモチベーションには思いつくだけで三つある.
1.純粋な科学興味,新事実をみんなに知って貰いたい.
2.職を得るための生存本能
3.他のグループの先を越したいという闘争本能

1.はもっとも純粋で理想的なモチベーションだと思うけれど,正直言って論文完成まで結びつけるのは厳しい.
だって,調査や分析は楽しいけれど,正直言って論文執筆はそれほど楽しくないからだ.
もちろん,ノリノリで書いている時とか完成に近づいたときなど楽しい瞬間もあるけれど,基本的には切れそうになる集中力をつなぎ止めるほどのモチベーションには結びつかない.僕の場合は.

2.確かに一年任期をくぐり抜けてきた頃は大きかった.
「来年は無職かもしれない」という不安で夜中に目が覚め,論文を書いたこともあった.
けれど,任期切れが3年先ぐらいになると怠け癖が出てそれほど頑張れない(今の僕).
そもそも最近は夜中に目が覚めない.

という訳で,今は3の闘争本能を駆り立てて論文を書こうかと思うけれど,
闘争本能ばかりで研究を進めるのもちょっと違う気がする.
例えば研究者の成績をインパクトファクターや引用数で決める話がちょっと萎えるみたいに.
夢が無いなあと.

と言う訳で,論文が進まない理由を自分なりに分析してみたけれど当然ながら答えは出ず.

結局は,目の前にあるデータを論文として片付けなくては次の楽しい研究に進めないと自分に言い聞かせ,集中力切れをごまかしながら,執筆作業に戻ります.


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モデル論文をまとめる [論文]

ANU滞在時に進めた研究結果を論文にまとめている.

当初,僕自身で進めたモデルの結果と,ANUの共同研究者と一緒に進めた結果をそれぞれ別の論文としてまとめようと考えていた.
元となるデータは一緒だけれど,アプローチが違う計算を一つの論文にまとめるのは大変そうだし,凄く長くなりそうだったからだ.

けれど,向こうの共同研究者(かなり偉い先生)から
「この二つは一緒にして一つの論文として出すべきだ!」とメールを頂いたので,
改めてほぼ完成していた一本目の論文を解体して,ANUでの結果を含めた論文に再構築することにした.

こうやって取り組んでみると,二つの計算結果をまとめるのはちょっとややこしいけれど,確かに結論として導かれる事象がとてもクリアになって,しかも強く示すことが出来るようになった気がする.
やはり,偉い先生のコメントは的を射ているなあ.

昨今は論文の本数が大きな評価基準になっていて,とにかく論文を量産せいというプレッシャーがかかってるけれど,やっぱりしっかりとした論文を書くことは重要だと思う.
どうせ論文を量産できるほど集中力無いしね.

とは言っても,まだ論文のまとめ作業は終わっていない.
来週には待ちに待った加速器の運用が始まってしまう.
それまでにはなんとか共著者に送れる状態までは進めないと...

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共著論文の受理 [論文]

更新が滞っている間にいろんな出来事があったけれど,まずは研究面の報告から.

先日,僕が第二著者の論文がTectonophysicsという雑誌に受理された.
実は,僕にとってこれが初めての第二著者での国際誌論文.

この研究は,僕の出身研究室の後輩がまとめた博士論文の中心となったテーマで,野外での試料採取から各種の実験までずっと関わってきたものだ.
内容は九州南部のテクトニクスに関して,詳細な地質構造解析と古地磁気データを基にして,新たなモデルを提唱するというモノ.
真夏の離島での岩石試料サンプリング.あまりに暑くて海に飛び込んだのを思い出す.
T君,お疲れ様でした!

これまで僕はあまりチームで進めるタイプの仕事をしてこなかったけれど,
この研究を通して他の研究者をサポートして成果を得るというのは,自分の論文を出すのとまた違った充実感があることを学んだ.
現在の職場では,今後チームを組んでどんどん成果を出していくことが求められているので,この経験を糧にしてガシガシ研究を進めていきたい.





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総説論文(和文) [論文]

久しぶりに日本語の論文を書いている.

自分の研究分野の現状と展望についてまとめた総説論文だ.
日本語の論文なら周辺分野の研究者にも読んで貰えるし,自分の宣伝にもなるという下心もあって,こちらに来てから書き始めた.

総説論文の定義は,投稿先の雑誌規定によると「ある分野の論文や学説などを総括,解説,あるいは紹介したもの,および***」とされている.
つまり,基本は公表されている論文の成果をまとめたものだ.ただ,これだけだと物足りないので,多少は新しい見解なども入れた方が良いのかなとも思う.しかし,未公表の成果や不明確な議論まではあまり含めたくない.

そして先日,投稿先の雑誌の編集部から,この総説論文の査読結果が帰ってきた.
基本的には好意的なコメントで,多くは細かな修正点の指摘だった.
ただ,コメントの一つで,現時点ではあまり理解が進んでいないので細かく触れなかった現象について,きちんと説明するべきであると指摘された.

仰るとおりなのだけど,既存の研究で理解されている範囲をちょっと超えてしまうので,総説論文として新たなデータを加えたり解釈をするべきなのかちょっと迷う.
もちろん,明確にしてほしいと指摘する気持ちも分かるのだけど.
実は,次に書くオリジナル論文用の未発表データを織り込むと,この要求に少しは応えることができるのだけれど,折角のデータを中途半端に公表することは避けたい.
という感じで返答を書いて,修正原稿を返した.


以上のようなブログ文章を書いていたら,昨日,編集部から
「まあ理解が進んでない部分はそのままで良いとしますよ,論文を受理します」
という感じの返事を貰った.こちらの状況を理解して頂けたようだ.良かった.

という訳で,博士号を取得して5年かかって漸く自分の研究分野をそれなりに総括した論文が書けた.
お世話になった多くの方々に深く感謝.有難うございました.

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別刷りと学術雑誌事情 [論文]

先日,EPSL (Earth and Planetary Science Letters) という雑誌に掲載された論文の別刷りが届いた.
最近は論文の電子化が進んで,紙媒体である論文の別刷りはあまり必要無くなったのだけれど,EPSLはナカナカ敷居が高い雑誌なので少し注文していたのだ.
別刷りの価格は100部で約4万5千円.
2006年に出版されたEPSL論文の時は,250部も注文して沢山の先生に手渡しや郵送で配ったけれど,今はPDFファイルをメールでやり取り.たった4年の違いだけれど,論文の電子化は随分進んだと思う.

ただ,ペラペラの論文だけど,やはり手にとって見ると苦労が報われた気がして感慨深い.
でも,郵送の際に封筒が傷ついたらしく,最初から論文の端が痛んでいる.ひどい..


ところで,学術雑誌というシステムは一般にあまり知られていなく,しばしば誤解を受けるので,ここで簡単に紹介してみようと思う.

まず,当然ながら研究結果がまとまったら論文を書く.
そして,学術雑誌と呼ばれる研究論文を専門に掲載している雑誌に投稿する.
この時,学術雑誌の格(レベル)と自分の論文の出来などを照らし合わせ,投稿先の雑誌を選ぶ.最近は学術雑誌のレベルがインパクトファクター(IF)という尺度で表してあったりするので便利だ.
投稿された論文は,編集担当によって適当と考えられる同業研究者に送られ内容をチェックされる.これを査読と呼ぶ.基本的にこの作業はボランティアで,つまり研究者は自分の論文を雑誌に投稿すると共に,他の研究者の論文もチェックする.
この相互補助によって,雑誌および研究分野のレベルが保たれる.

一方,学術雑誌は書店に並ぶことはほとんど無く,大学・研究機関の図書館に納められる.
近年,これらの学術雑誌を扱う出版社の寡占化が進んでおり,それに伴い雑誌価格が高騰している.例えば, EPSLはエルゼビアという出版社によって発行されているが,この雑誌の年間購入価格は約55万もする!
雑誌の質が高く,正直言ってこの雑誌無しには研究が進まないのだけれど,それを良いことに雑誌価格が年々上昇していることが問題となっている.
ただ,出版社が発行する学術雑誌の利点は,研究者が論文を発表する際に費用が不要であることだ.
つまり,出版社発行の学術雑誌は高価だけれど,図書館(研究機関)が費用を支払うため,個人負担がない(別刷りは除く).

一方,学会によって発行されている雑誌も多数ある.
たとえば,American Geophysical Union (AGU)の発行するJournal of Geophysical Research (JGR), Geophysical Research Letters (GRL), Geochemistry, Geophysics, Geosystems (G-cubed or G-3)など.
これらの雑誌は学会よって運営されているので,営利目的ではない.しかし,論文を掲載して貰うには,こちらが出版費用を出さなくてはならない.僕も2008年にG-3から論文を出した時には,約10万円を支払った.この雑誌は電子出版のみなので,論文の印刷費用ではなく編集作業にもそのぐらいのお金が必要だと言うことだろう.

エルゼビアなど寡占出版社の横暴を良く思わない研究者は,学会運営の雑誌に論文を出すことが多い.僕のポスドク時代のボスも反エルゼビア運動と言って,AGU系の雑誌にのみ論文を出している.けれども,学会運営系の雑誌から論文を出すためには出版費用が必要で,これは駆け出し研究者には馬鹿にならない.そして,EPSLなどエルゼビア系雑誌の格の高さも捨てがたい.駆け出し研究者には,格の高い雑誌に論文を載せて,沢山の人に読んで貰うことが重要なのだ.

という訳で,僕はしばらく反エルゼビア運動には加われそうに無いです...すみません.

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